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モンゴル西方部の土城跡から仏像の足部・手部を発見 ―仏教伝来の新たなルートの発見に繋がる可能性も

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2017年4月3日

モンゴル帝国時代に作られた等身大塑像の仏像の一部

 龍谷大学農学部食料農業システム学科の中田 裕子 専任講師らの研究グループが、モンゴル国西部のゴビアルタイ県シャルガ郡で行なった土城遺跡の発掘調査において、モンゴル帝国時代に作られた等身大の仏像の一部と思われる足と手を発見しました。この遺跡は、モンゴル高原から中央アジアへ向かう交通の要衝に位置し、チンギス・ハンの西征を後方から支援した拠点でもありました。多民族融合の社会であったモンゴル帝国の時代に、東西を往来する多様な人々がこの地でどのような交流を行なっていたのか、今回発見された仏像は、この重要な課題を解明する手掛かりになると考えられます。
 本研究は、日本モンゴル共同調査団が2014年に同地域において試験的な発掘調査を行なったことがきっかけとなりました。この時の発掘では、遺跡には13・14世紀のモンゴル帝国時代とそれより前の5・6世紀という、二つの層の存在が判明しています。そこで、中田専任講師が研究代表者となり、科学研究費補助金「5~7世紀におけるモンゴルの土城址および中央アジアの交易路に関する総合的研究」を申請、採択され、2016年度から本格的な調査を開始し、モンゴル国アルタイ地方を経由する「草原のシルクロード」の歴史的意義を探ることを目的として研究を進めてきました。
 今回の成果を契機に、モンゴル国や本学における研究組織、国内外の研究機関等との連携を図りながら、研究活動を促進させていく予定です。

<概要>
 龍谷大学農学部食料農業システム学科の中田裕子専任講師らの研究グループが、モンゴル国西部のゴビ アルタイ県シャルガ郡で行なったハルザンシレグ土城址の発掘調査において、モンゴル帝国時代に作られた等身大塑像の仏像の一部と思われる足と手を新たに発見した。
 この遺跡は、モンゴル高原から中央アジアへ向かう交通の要衝に位置し、チンギス・ハンの西征を後方から支援した拠点でもあった。多民族融合の社会であったモンゴル帝国の時代に、東西を往来する多様な人々がこの地でどのような交流を行なっていたのか、今回発見された仏像は、この重要な課題を解明する手掛かりになると考えられる。

<詳細>
1.日本とモンゴルの歴史学・考古学の研究者たちは、1994年以来、「ビチェース・プロジェクト」という調査団を結成し、モンゴル国に現存する突厥時代からモンゴル帝国時代に至るまでの碑文の調査・研究を行ない、23年目を迎えている。日本側の代表は松田孝一、モンゴル側の代表はA.オチルである。今年2017年はモンゴル日本国交樹立45周年に当たり,歴史・考古学の分野で20年以上の共同研究を続けている本プロジェクトは,モンゴル日本文化交流の分野で大きな成果と意義を有している。
 本プロジェクトは5種9冊の報告書を刊行しており、主たる研究対象は碑文資料だが、各時代の遺跡の調査も数多く行なってきた。その中で最大の成果は、モンゴル帝国時代の軍事拠点であるチンカイ城の発見である。

2.チンカイ城とは、チンギス・ハンが1212年にウイグル人の功臣チンカイに命じてモンゴル西部のアルタイ地方に造らせた軍事拠点である。大規模な兵站基地として、1219年からのチンギス・ハンの中央アジア遠征を支えていた。チンカイ城の具体的な位置を記す資料はほとんどなく、唯一、中国道教の指導者長春真人がチンギス・ハンの招請を受けて中央アジアに旅した際の旅行記『長春真人西遊記』に具体的な記述があるだけである。多くの研究者がその位置について主張してきたが、どれも定説になっていなかった。

3.ビチェース・プロジェクト隊は,このチンカイ城の発見を目的に2001年と2004年に現地調査を行ない、『長春真人西遊記』に記述される地勢などから、ゴビアルタイ県シャルガ郡にある古い農耕地跡にあるハルザンシレグ遺跡を候補地として提唱した。その後、2014年夏に試掘調査を行い、出土した木片と家畜の骨片についてC14放射性炭素年代測定をしたところ、木片はチンカイ城建設時、骨片は14世紀のモンゴル・元朝時代のものであった。これによって、ハルザンシレグ遺跡はモンゴル帝国時代のものであることが明らかとなり、ハルザンシレグ遺跡こそがチンカイ城であると我々は考えている。

4.そして、この2016年の本格的な発掘調査によって、仏像の一部と思われる足と手が出土したのである。仏像の足付近で出土した家畜の骨片および、仏像足部の芯棒の木片についてC14年代測定を行なった結果、骨片は13世紀のモンゴル帝国時代、木片はそれより古い年代であった。木片は実年代よりも古い時代を示すことがあり、骨片と木片は同時代と考えられる。モンゴル帝国時代の重要な軍事拠点であるチンカイ城から、このような仏像が発見されたことは歴史上大変重要な成果である。
 モンゴル帝国は広域を支配し、多民族融合の社会を築き上げていた。漢籍史料によれば、チンカイの地には千家におよぶ漢人たちが暮らし、農業や製造業に当たっていたという。『長春真人西遊記』には、長春真人によってこの地に道観が建立されたと記されているが、仏教を信仰する人たちのために、このような仏像が立てられ、あるいは寺院が建立された可能性がある。ハルザンシレグ遺跡のあるシャルガ地域は、モンゴル高原からアルタイ山脈を越えて中央アジアへ通じる交通路の要衝であった。この仏像も、中央アジアの影響を受けたもので、「草原のシルクロード」を通じて持ち込まれ、この地に立てられた可能性もある。多民族融合の社会であったモンゴル帝国の時代に東西を往来する多様な人々がこの地でどのような交流を行なっていたのか、今回発見された仏像はこの重要な課題を解明する手掛かりになる。この軍事拠点はユーラシアの東西を結ぶ仏教伝来の道における宗教的な拠点でもあった可能性が新たに明らかになった。

5.もうひとつ重要なのは、前述の2014年の発掘によって、当遺跡から5・6世紀の文化層も出土手いることである。これにより、唐代以前からもこの地に人々が居住しており、シャルガの地域は西方や南方へ通じる重要拠点であった可能性が出てきたということである。これを受け、ビチェース・プロジェクトの一環として、ハルザンシレグ遺跡のモンゴル帝国時代以前の古い層の調査を第一の目的に、この地域の5・6世紀の時代を専門とする龍谷大学・農学部の中田裕子専任講師が代表となり、日本学術振興会の科学研究費補助金「5~7世紀におけるモンゴルの土城址および中央アジアの交易路に関する総合的研究」を受けて行なわれたのが、昨年2016年9月の発掘調査であった。
 5世紀におけるモンゴル高原において、トルコ系の高車とモンゴル系の柔然が有力な遊牧勢力であったことはよく知られている。その中で、高車が勃興した地域こそが、このハルザンシレグ遺跡を含む地域であると中田は考えている。高車は柔然の配下となるまでこの地を支配していたと思われる。中国のトルファンで発見された出土文書によると、そのころ、トルファン盆地にあった高昌国からモンゴル高原の高車・柔然を経て、北中国の北魏に至る交易路が重要であったという。また、6世紀に入ると、柔然の支配下にあったトルコ系遊牧民の突厥が台頭し、柔然から独立するが、突厥はもともとアルタイ山の南方にいて、鉄の製錬・鉄器の製造などに従事していた。アルタイ地方のハルザンシレグ遺跡は突厥との関わりも考えられるのである。つまり、ハルザンシレグ遺跡は、少なくとも5世紀から、モンゴル帝国時代に至るまでの長い間、モンゴル高原と中央アジアを結ぶ交易路上にあり、重要な役割を果たしていた可能性が高い。

6.モンゴル帝国時代、チンカイ城周辺では、遠征を支えるために大規模な農耕が行なわれていたことが文献からわかっている。ハルザンシレグ遺跡の周辺には、古くから使われていたと思われる農耕地跡が存在することも、この地をチンカイと考えた理由の一つであった。それだけでなく、前述の5世紀の高車の時代からすでに遊牧民にとって農業が重要であったという記録があり、ハルザンシレグ遺跡および周辺の調査によって、遊牧民と農耕の関係という歴史学上重要な研究課題に迫ることができると考えている。
 一般的に「シルクロード」と言えば、中国から直接西方に向かうルートが思い起こされるだろう。しかし、ハルザンシレグ遺跡は、それだけでなく、いったんモンゴル高原に向かい、そこからアルタイ地方を経由して中央アジアへ向かう「草原のシルクロード」のルートも、歴史上、重要な交易路であったことを証明する重要な遺跡である。今回の成果を契機に、モンゴル国や本学における研究組織、国内外の研究機関等との連携を図りながら、研究活動を促進させていきたい。2017年度も本学の資金により現地発掘調査を継続し、ハルザンシレグ遺跡の全容解明をめざす。

<参考文献>
オチル、エンフトゥル(清水奈都紀訳)
 「モンゴル・日本合同調査団、モンゴル側簡報」文部科学省科学研究費補助金・特定領域研究「中世考古学の総合的研究 ─学融合を目指した新領域創生─」 (領域代表:中央大学教授・前川要)〈公募斑〉『中世北東アジア考古遺蹟データベースの作成を基盤とする考古学・歴史学の融合』平成16 ・ 17年度研究成果報告書(代表:龍谷大学助教授・村岡倫、以下『村岡科研報告書』と略)、pp.21-34、2006年。
白石典之
 『チンギス・カン “蒼き狼の実像”』中公新書、2006年。
 「モンゴル国シャルガ遺跡出土遺物について ―陶磁器資料を中心にして―」平成17~19年度科学研究費補助金・基盤研究(B)『内陸アジア諸言語資料の解読によるモンゴルの都市発展と交通に関する総合研究』(代表:大阪国際大学教授・松田孝一)研究成果報告書、pp241-258、2008年。
中田裕子
 「遊牧民の歴史と農耕」龍谷大学農学部食料農業システム学科 編『食と農の教室1 知っておきたい食・農・環境 —はじめの一歩—』 昭和堂、pp. 139-158、2016年。
松田孝一
 「クビライ政権時代のチンカイ地区(剳記)」『村岡科研報告書』、pp.47-54、2006年。
松田孝一〔編〕
 『13-14世紀モンゴル史研究』第1号、大阪国際大学、2016年。
 『13-14世紀モンゴル史研究』第2号、大阪国際大学、2017年。
村岡倫
 「モンゴル西部におけるチンギス・カンの軍事拠点 ―2001年チンカイ屯田調査報告をかねて―」『龍谷史壇』119・201、pp.1-61、2003年。
 「チンカイ屯田と長春真人アルタイ越えの道 ―ハルザンシレグ遺蹟調査の総括―」『村岡科研報告書』、pp.35-46、2006年。
 「モンゴル帝国の真実―現地調査と最新の史料研究から―」『北方世界の交流と変容 ―中世の北東アジアと日本列島―』山川出版社、pp.134-155、2006年。
 「チンカイ城と長春真人アルタイ越えの道―2004年現地調査報告をかねて―」『龍谷史壇』126、pp.1-35、2007年。
 「モンゴル高原から中央アジアへ ―13世紀チンカイ城を通るルートをめぐって―」
菊池俊彦[編]
 『北東アジアの歴史と文化』北海道大学出版社、pp.393-411、2010年。

<研究に関する問い合わせ先>
 〒520-2194 大津市瀬田大江町横谷1-5
  龍谷大学農学部食料農業システム学科・専任講師 中田 裕子
  Tel: 077-599-5766 / Mail: nakatayuko@agr.ryukoku.ac.jp

 〒612-8577 京都市伏見区深草塚本町67
  龍谷大学文学部・教授 村岡 倫
  Tel: 075-642-1111 /Mail: hmuraoka@let.ryukoku.ac.jp


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